5月21日判決を迎えて
「 主文、被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない 」

この瞬間、「よっしゃ!」「やったー!」という叫び声と湧き上がるような拍手!弁護団と原告団の1名ずつが旗出しに法廷を飛び出していく。判決では、今までの口頭弁論ではなかったことだが、3名の裁判所の係官が傍聴席の両側と背後に待機している。彼らが「静かにしてください。静かにしてください」と呼びかける。
裁判長は顔色ひとつ変えず拍手と歓声が静まるのを待って先を続ける。裁判長が主文を読み終えると、法廷内のそこかしこから嗚咽が聞こえてきた。福井県の原発立地地域に住む中年の女性が眼に涙をためて、後ろにいた知り合いを振り返り「よかった」というふうに唇を動かす。灰色の髪の初老と思われる男性が肩を震わせている。中年の男性が声を上げて泣き始めた。
(脱原発弁護団全国連絡会共同代表の河合弁護士はこの瞬間のことを「四十二年間の弁護士人生で、判決を聞いて涙を流したのは初めて」とこの後の報告会で述べている。)

ここで弁護団に判決要旨が配られる。配布し終えたことを見届けると裁判長は判決理由を読み上げる。「ひとたび深刻な事故が起これば・・・」。先の中年男性は上を向いて「ウォーン」とゾウの遠吠えのように泣き続けている。記者会見用に判決要旨を増し刷りするために原告団の2名(小野寺、中嶋)が法廷を出ていった。

オリーブ色の作務衣を着た男性僧侶が静かに傍聴席を立つ。法廷を出る前に深々と裁判長に一例する姿が視野の隅に映る。福島から福井に避難されていた方だ。

この後、判決理由の朗読中にさらに二度ほど拍手と歓声が沸き上がる。裁判長はその間も係官が傍聴人を静めるのを待って、淡々と朗読を続けた。

3時43分、判決理由の朗読を終えて裁判長らは退廷。たちまちに法廷は、喜びの声で沸き返った。福井地裁は原発を推進する側の論理を徹底的に退けたのである。

以上文責:小野寺和彦

裁判所の前では、弁護士と原告が外に走り出て、傍聴席に入り切れなかった支援者らを前に「差し止め認める」「司法は生きていた」の垂れ幕を空高く掲げると、涙ながらに握手をしたり、抱き合う人、万歳を叫ぶ支援者など歓喜の渦が地裁前を埋め尽くした。

私達はこうして、日本国憲法前文にも値するような素晴らしい判決文を手にした。裁判所は、福井県の嶺南地元の方々、福島から避難された皆さん、そして事故となれば県境を越えて被害を受けることになる関西住民などの意見陳述での訴えを受け止めてくれた。判決文の根底には、「ノーモア フクシマ」という明確なメッセージがあると感じた。

■人格権
人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

■福島を踏まえた判断は裁判所の責務
(1)原子力発電所に求められる安全性
 原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然である。
原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

 私は、この判決文を何度も何度も読み、「司法は生きていた!」という感動、樋口裁判長はじめ石田裁判官、三宅裁判官に「同志だったんだ!」という喜びがこみあげた。最高!
この判決文は、市民の立場に立ったわかりやすい言葉で、すべての原発に共通する根本的危険性を述べている。そして、これからの脱原発運動のバイブルにもなっていくだろう。

 今回の裁判では有志の多くの弁護士さんたちが加わって下さった。各準備書面は一字一句を吟味しながら、文字通り全力を傾注して作成されたものである。私はこの準備書面の検討場面を幾度か目にし、真剣に議論を進める弁護士さんたちの「本気度」に感動した。

 一市民として特別な知識や才能があるわけではない私は、それでも卑下することなく「私も原発をなくしたい。もう3.11は繰り返したくない。誰かを犠牲にする原発は嫌だ。」と訴え続けていきたい。この判決文を携えながら。

小野寺 恭子

20140521_a2 20140521_b2

Comments are closed.

Post Navigation