2013年5月18日~19日
「柏崎刈羽原発の見学と地元交流会」の報告

(文責 近藤容人(刈羽村村会議員))
 平成25年3月23日(24年度末)に防災訓練が行われた。想定は、柏崎刈羽で震度6強の地震観測、(柏崎刈羽原発)3号機変圧器の火災発生等を経て、全面緊急事態(原災法-第15条事態[注])に発展、原発から半径5キロ内の住民が、新発田、湯沢、糸魚川へ避難するという訓練であった。

 明らかになったことの第一は、想定が甘い点だ。福島事故をふまえるならば、当然、圧力容器の爆発、格納容器の爆発を想定すべきだった。最悪の事態に備える、これこそが安全側に立つという思想ではなかったか。また、爆発の種類は、水素爆発、水蒸気爆発、核爆発があるが、それには、全くふれていない。非常に甘い。

 第二は、東電からの発電所通報が、タイムリーに適切に行われるということは期待するも愚かだ、という点だ。
(事故の発生源としては)全号機自動停止、3号機変圧器火災発生、直流電源(A系、H系)故障、直流電源部分喪失、原子炉隔離時冷却系の手動起動、ECCS(非常用炉心冷却装置)起動失敗、直流電源全喪失、逃し安全弁開放、原子炉隔離時冷却系停止(炉圧低下)、海水注入、ベント等(が考えられる)。
 国会事故調に昨年2月、「真っ暗」とウソの報告をして平然としてはばからない東電が、まともな通報をするわけがない。隠ぺい・ねつ造・改ざんの東電は、往生際が非常に悪く、ますます「臭いものにフタをする」「ありもしないことをでっち上げる」「数値が事実をねじ曲げる」という、お家芸に磨きをかけている。頭は隠したつもりで、汚れたしりはまる見えだ。

 第三は、訓練開始(早朝4時)後、昼過ぎには全住民のPAZ圏(=5km圏)外への避難が消防団含めて完了し、役場閉鎖、役場機能移転、全職員の湯沢町への避難完了が昼の12:47。
 こんな事はありえない。絶対にない。柏崎刈羽の住民は、震度6強の地震が、いかに恐ろしく、すさまじいものであるか、2007年7月16日・中越沖柏崎刈羽震災でまったく呆然とする事態を経験した。新潟地震(1964年、M7.5)、中越地震(2004年、M6.8)も経験した。建造物は、何からなにまで10数秒間で見渡す限り破壊され、山崩れ、ガケ崩れがいたるところで発生、余震がいつまでも続き、人々は震えていた。避難用バスなど来ない。道路は至る所で寸断され、新潟県全体がパニックとなる。避難完了12:47とは何事か。

 第四は、仮に避難できたとして、帰れるのかという点だ。たとえ訓練とはいえ(行動計画に)「15:10 避難住民の帰還終了」とある。故郷に帰ってこれない避難、永久避難は、そもそも避難とは言えない。福島の人々は十数万人が二年を経ってもなお、先の見えない限界の生活を押しつけられている。それを、4:00に地震発生、15条事態を経て、15:10には帰れる、こんなことは絶対認めない。

全国の皆さん、みなで力を合わせ、共に闘いましょう!

———-
[注] 原災法-第15条事態
緊急事態判断基準(15条事態)
http://www.bousai.ne.jp/vis/bousai_kensyu/glossary/ki19.html

—–
地元交流会のフォトリポート
(準備中)

—–
避難訓練に関するニュース

毎日新聞 2013年03月23日
柏崎刈羽原発:重大事故を想定 1500人参加し初の訓練
http://mainichi.jp/select/news/20130323k0000e040197000c.html

Comments are closed.

Post Navigation