※全国各地の活動について紹介(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

泊原発廃炉訴訟第5回口頭弁論が2013年4月15日札幌地裁で行われました。

この訴訟は、福島原発の事故を受けて7月に結成された「泊原発の廃炉をめざす会」の呼びかけで原告団が形成され、第一次原告に612人が加わり(2011年11月11日)、合わせて原告1,233名による稼働中原子炉の廃炉を求めた全国初の裁判です。

裁判の争点の一つは、北海道電力がひた隠す泊沖の活断層の存在で、「廃炉をめざす会」は大間原発の建設中止も求め、裁判と同時に広範囲な人々に訴えて運度を進めていくとの事です。

4月15日の口頭弁論では「廃炉の会」共同代表の清水晶子氏と岩内町町会議員・佐藤英行氏が意見陳述を行いました。今回佐藤氏より、陳述書の全文と陳述の裏づけとなる貴重な資料の提供がありましたので皆様に公開いたします。

原発がいかに民力を殺ぎ放射能の汚染を地元にこれまで強いて来たかが分かる貴重な資料ですのでご活用願います。(事務局)

(註1および下線部は事務局による。下線部に示される資料(陳述書別紙)をPDFで掲載

泊原発廃炉訴訟 札幌地裁 第5回口頭弁論 意見陳述書

陳述人 佐藤英行(岩内原発問題研究会 岩内町町議会議員)

「共和・泊」[註1] 原子力発電所として北海道電力が原発建設を発表して以来、泊原発建設“絶対反対”決議を続けてきた岩内郡漁業協同組合に対し、北海道電力の攻撃が強まり、絶対反対決議も揺らぎ始め、漁協の最高決議機関である総代会が賛成派の要請で1981年8月15日開催された。

この日の岩内郡漁協の臨時総代会は乱闘になり流会、再度9月28日に開催された臨時総代会で泊原発建設「絶対反対」の看板を下ろし「条件付き賛成」と路線を変更した。
12月に第1次公開ヒアリング、翌1982年3月には電源開発調整審議会において承認され、補償金・産業振興資金も妥結して行った。

1982年の岩内町はまだ基幹産業が漁業と対外的に言える状況だった

1982年の漁獲量17,419トン、漁獲高38億8600万円、漁船数323隻(1t未満104、10t未満102、50トン未満95、100トン未満20、100トン以上2)、正組合員525名を誇っていた。そのうち鯳(すけそ)は、はえ縄漁52隻で14,750トン、23億7400万円を水揚げしていた。しかし原発建設、そして初臨界、試運転、営業運転と経過するにつれて衰退していった。2010年の漁獲量は82年対比16%の2,722トン、漁獲高は15%の5億7400万円、漁船数25%の82隻(10t未満65、50トン未満15、100トン未満2)で正組合員数においては14%の72名までに減少した。(表1)

スケソウダラは鯳(すけそ)と書き、海底の深いところにいる魚ということで魚へんに底をあてたとされている。北海道での主な産卵場は岩内湾、噴火湾、根室海峡で、産卵期は12月から4月で1~2月が盛期である。3~5℃の冷たい水温が産卵適温である。岩内の漁ははえ縄漁といい、200m位の水深に針に餌をつけての釣り漁法であるので鮮度がよく、刺し網漁が主の古平町の単価120円/kgに対して161円/kgと高値を付けていた。加工後、岩内産のたらことして全国に名を馳せていた。

泊原発1号機の初臨界が1988年、2号機が1990年、そして3号機が2010年であり、その間取水より7℃高い温度の海水を、1号機、2号機それぞれ40t/秒、3号機66t/秒垂れ流していったのである、その量は累計で琵琶湖の水量275億トンの1.7倍にも達する。1.2.3号機のそれぞれの臨界から営業運転時とスケソウダラの漁獲量を照らし合わせると営業運転の翌年にいずれも大きな漁獲量の減少となっている。(表2)

一般的に海水魚は温度適応範囲が狭く水温の変化に敏感に反応し生理や行動が水温に規制されることが多いとされている。温度変化に敏感であるということは温排水が魚類の回遊や移動に影響を及ぼす可能性は否定できないのである。日本の原発54基(2011年3月11日現在)のうち33基が日本海、東シナ海に面している。また、同じ日本海に面している韓国の原発は震災後も稼働中である。日本海は狭い海峡で外洋と連結しているのみなので原発から出される温排水の影響からは逃れられない。

レジームシフト(大気―海洋―海洋生態系から構成される地球構造の基本構造の転換)が起こったのかもしれないし、またや漁獲制限のTAC制度の影響もあるかもしれないが、3~5℃の冷水温を産卵適温とするスケソウダラに対して、温排水の垂れ流しは大きな影響を与えることは容易に予測できる。これまでの産卵していた水深200mよりもっと深いところで産卵するようになっていき、あるいは産卵場所をかえていった可能性もある。資源量の減少もあってスケソウダラの漁獲量は激減して行った。漁協の組合員も漁業を廃業し、また漁業関連で働いていたひとたちも、原発関連下請け企業にいくようになっていった。

一方、岩内町の海岸の南隣に位置する、寿都町、島牧村は漁業を基幹産業と位置付け、栽培漁業を推進するなど、地場産業の育成に努めており、漁獲量は2010年/1982年で寿都町は2.3倍、島牧村は1.5倍に対して岩内町は0.16倍に過ぎなくなっている。(表1)
このことから言えることは、原発産業が自然環境を破壊し、地場産業の漁業および関連産業を衰退させ、そして地元の人間を原発に取り込み、ものを言えなくさせていった構造である。地元の資源を確認し、それを生かしていき、産業として生業させていく力、いわゆる「地元力」を原発は殺いでいったのである。
参考「泊発電所における地元活用について――北海道電力資料より」(別紙1)

放射線治療の専門家で3月まで北海道がんセンター院長であった西尾正道氏は、北海道の標準化死亡比のデータで泊原発がある泊村のがん死亡率が高いことを指摘している。北海道知事が主務官庁となっている北海道健康づくり財団が報告した道内のがん死亡率SMR(標準化死亡比)は、泊村のがん死亡率は断トツに高く、2番目が隣町の岩内町となっている。泊村は10万人当たり2450人であり中間値の1120人の2倍以上のがん死亡者数となっている。泊原発の現地と言われる地域でがんでの死亡率が異常に高いのである。
事故が起こらなくても原発から恒常的に放射性物質は排出されており、また原発で働く労働者も被曝は免れないのである。定期点検時ともなると被曝する割合は高くなる。
しかしながら、異常ともいえる泊村のがん死亡率の高さが泊原発によるものであることの因果関係を証明することは大変難しい。

福島第一原発事故による放射能の影響がこれから子どもたちを中心に現れることが危惧される。子どもたちの未来を脅かしている。
これまで原発現地と言われてきた地元は、これまでも二つの不安を抱えてきた。一つは危険な原発を目の前にして生活している不安であり、もう一方の不安は原発マネーに組み込まれている地域経済が廃炉となることによって崩壊し雇用の場の喪失による生活の不安である。この不安の元凶は原発である。

原発産業は地元経済に雇用の場を拡大してきた、スケソウダラの漁獲量の減少は地球温暖化の影響で温排水を原因とする確証はない、泊村と岩内町のがん死亡率が高いのは同じ現地の共和町、神恵内村は高くないので原発が原因とはいえない、このように北海道電力は主張するでしょう。

“確かな証拠がない” ことを “影響がない” ことにすり替えてきた歴史がフクシマ事故を引き起こしたのである。

ひとたび事故が起きれば、そこに存在している全ての生命、環境を破壊して行くこのことをフクシマは改めて私たちに突きつけてきた。使用済核燃料、放射性廃棄物の処理方法もないなかで、これ以上 未来に負の遺産を背負させることを強制してはならない。原発そのものによって、これからも連綿と続いていく生命の営みを保証する、自然を対象とした生命の生業=農業・漁業を放射能で汚染させることはこれ以上してはならない、させてならない。未来を保障する責任が私たちにはある。すべての原発を廃炉にすべきである。

ちなみに昨年5月から3号機が定期点検に入りすべての泊原発が運転を停止した。そして、温排水が排出されていない現在、今年のスケソウダラ漁は昨年同期と比較して1.5倍の水揚量となっている。(表4)



註1:

泊原発はその計画当時、岩内郡共和町と古宇郡泊村にまたがって建設が進められていた。しかし、発足(はったり)断層の存在、原発建設に絶対反対の立場をとる岩内郡漁協の漁業権の主張、建設資材の運輸につかう道路予定地の反対派による買い占めなどの理由で、建設予定地をすべて泊村に移した経緯がある。

意見陳述書 別紙

(1) 近隣町村の漁獲量・金額比較
(2) 岩内町スケトウタラ漁の推移
(3) 泊発電所における従業員の地元活用について
(4) スケトウタラ漁の推移

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