HUNTER –僭越ながら– 2013年3月4日 09:25

原発の行方
http://hunter-investigate.jp/news/2013/03/post-332.html

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という。諸外国の事情までは知らないが、少なくともこの国の国民は、災害や事件について、当事者にならない限り意識を持ち続けることが苦手で、最後には「人の噂も七十五日」とばかりに開き直ってしまうという欠点を持っている。
被災地以外で、震災や原発事故についての記憶が風化しているのではないか。発生から二度目を迎える「3.11」を前に、とくに「原発」を取り巻く現状について検証してみたい。

風化
東日本大震災の復興を妨げているのが、福島第一原発の事故によって拡散した放射性物質であることは間違いない。関東大震災や阪神淡路大震災のケースと違うのはこの一点で、ために復旧・復興に膨大な時間と莫大な費用を要することになっている。いまだに約16万人もの人々が避難生活を余儀なくされていることについて、私たちは現実を正しく理解し、痛みを共有しているのだろうか。むしろ大震災の記憶が“風化している”と感じているのは筆者だけではないはずだ。
震災がれきの処分をめぐっては、受入れを表明した多くの自治体で賛否に関する議論が起き、「絆」とは何か考えさせられる事態となった。この間、「安全神話」とやらをばら撒いた国や電力業界では、最悪の状況を招いた責任を誰も取っていない。
普通の国なら「原発は止めましょう」という結論になるはずだし、事実ドイツでは国家としてその方向性を打ち出している。しかし、原爆に次いで原発の被害まで体験したこの国では、福島第一の事故の後始末さえ終わっていないにもかかわらず、逆に原発推進への動きが加速する一方だ。狂っている、と言っても過言ではあるまい。

(中略)

「上関原発」復活の予兆
中国電力が建設計画を進めながら、福島第一以後、計画そのものが事実上凍結されたと思われていた「上関原発」(山口県上関町)に関しても、きな臭い動きが出始めている。
先月、中国電力が出した上関原発建設予定地の公有水面埋め立て免許の延長申請について、山口県の山本繁太郎知事が許可・不許可の判断を1年間先送りする方針を固めた。この間は審査が続くため免許は失効しないのだという。
(中略)

暗躍する原子力ムラ

無責任国家

決めるのは国民
地震列島であるこの国に、原発や高レベル放射性物質の地層処分を求めること自体が狂気の沙汰だ。それでも、原発を続けるというのだろうか。
電気と命、どちらが大切か考えれば分かるはずなのだが、東北の被災地以外では、自分のこととして原発と向き合うことができていない。原発の行方を決めるのは、私たち国民ひとり一人であることを忘れてはならない。

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