南予滞在記~原発直下のローカル社会の一断面~

現地レポート(報告者 八木健彦)

伊方原発50キロ圏内に収まる南予地域

愛媛県の西南部は南予と呼ばれている。工業地域としての東予、県の中心で行政・商業地域としての中予に対して、急峻な四国山地が宇和海に落ち込んでいく農林漁業中心の草深い地域が南予である。保守的な愛媛でも(愛媛は「日本会議」の拠点と言われている。)保守の牙城と言われてきた南予、松山で「愛媛はのんびりしているが、中でも南予には悠久の時間が流れている」と聞かされてきた。その南予に結局3年近く滞在することになった。

南予は一次産業地域であり、過疎化と高齢化にさらされ、その中でもがきながら、しかしおおらかに暮らしている。とくに宇和海岸沿いには名だたるミカン産地が連なっており、ミカンは生活の糧であるだけでなく、地域の歴史であり、文化であり、誇りでもある。養殖筏(いかだ)と島々が浮かぶ宇和海から照り映える太陽の光を浴びた、山の上まで手入れされた石垣の段々畑を見るとき、その思いは胸に伝わってくる。

伊方原発30キロ圏はほとんどが南予に属し、また南予地区は伊方原発50キロ圏にすっぽりと入る。南予は風光明媚で気候も穏やかで暮らしやすいところであるが、大雨による土砂災害と地震の心配は絶えずつきまとう。3年の間に八幡浜でも震度5を超える揺れは3度あった。中央構造線、南海トラフ、そして豊後水道や伊予灘の震源地と地震・津波の危惧は切迫したものがある(南海トラフ地震による津波で南予の海沿いの町々は全滅する、岡田眞先生は指摘する)。
そしてそれは常に原発事故・複合災害の恐怖と一体なのである。津波の後には放射能の津波が降り注ぐ。

この穏やかな、“日本のふるさとの原風景”を感じさせてくれるこの地域が、日々放射能を心配する生活を強いられている。そのことはこの地に暮らす人々の心の中深くに沈殿している。避難などできようもない、ここで放射能を浴びながら死んでいくしかないという老婆、ミカン畑が壊滅しふるさとが根こそぎ奪われてしまうことを心配する農家の親父、「息子がここには帰ってこれんという。この家も自分の代で終わりだ。」と寂しがる年配者。

原発問題は従来の政治イデオロギーの壁を超えてある。その一例として南予22カ所、公民館単位でおこなった「日本と原発」上映運動は計800名程が参加したが、自民党市議も参加していた。大洲の片田舎の民家でおこなった上映会に参加した自民党市議は、見終えてすぐに議会請願の原案を書いてきて、みずから紹介議員となった。

南予を覆う過疎―人口減と原発問題

 南予を深く規定しているのは、過疎化と原発問題であり、この二つの問題への直面からどのような地域の創生へと向かうのか、ということである。過疎―人口減は加速している。「地方創生」がつまるところ地方中核都市への集積と勝者などごく一部しかありえない地域間競争を通じた地域淘汰だということは、愛媛でも松山圏域への一極集中をもたらしていく。南予各地では旧くからの地元商店街の衰退、小中学校の統廃合、バス路線の廃止、後継者不在による空き家・耕作放棄地等、コミュニティの存立に関わる問題が顕在化している。

他方では「道の駅」による産直、地元女性による農家レストラン等の地産地消、補助金に頼らない法人による6次産業化での地域ブランド、廃校跡の子育て交流センターやミカン採集期若者宿舎への転用、地域に開かれ一体となった高校づくり(島根県隠岐の海士町の話は結構広まっている)、ミュニティバス・乗り合い自動車等地域交通システムの再構築、農業と太陽光発電を両立させるソーラーシェアシステム、木の駅による間伐材の利用―森林保護とエネルギーの地産地消、空き家や耕作放棄地の再転用と農家受け入れ農業研修を結び付けた移住促進(内子町と宇和島で成果を上げている、前者は若い世代の移住)、そして自然・歴史・文化に関わる地域資源の再発見と活用、等々といった多くのことが試みられている。

そういう中で、従来の家を中心とする部落会議と並んで、全員参加―個人参加の地域団体を立ち上げそこで地域づくりを推進するとか、ミカン農家で従来の家を軸にした土地と家業の相続から、地域を軸にして新参の移住者への相続といった事象も生み出している。

そういう胎動には、都会や他地域・他産業で経験を積んできたUターン者が推力をなしている場合が多い。いわば、かっての工業化と大衆消費社会化=都市化の波に乗った地域展開から、人口減という低密度社会をゆったりした相互扶助的社会、自然と共生し、多様なものが共生し、食とエネルギーの地産地消―地域自治をもっての循環型社会へと推転していくこと。

古い共同体へのノスタルジー的回帰ではなく、1人1人が独自の個性、かけがえのない存在として尊重されつつ、互いのつながり、支えあい、安心と信頼をもった協同関係が保持されていくようなそういう地域社会の創造である。

それはグローバル競争国家化の成長主義と相容れない。後者からのアプローチは、南予ではダイオキシンを出した産廃焼却施設や大々的な自然破壊と低周波公害をもたらす巨大風力の大規模設置等として現れている。それに対する住民の闘いも粘り強く展開されている。南予ではエネルギーの地産地消の動きが遅れている。小水力やバイオマスや太陽光等の小規模電源(ここには小型風力も活用の仕方で付け加わるだろうか)のネットワークー住民協同管理の地域電力の可能性は十分にあると言える。

再稼動をめぐって浮き彫りになったもの

こういうことの中に原発問題がある。原発はこういう方向に立ちはだかる。いみじくも、前西予市長が私たちに言ったように「伊方原発再稼働は西予市にとってはデメリットばかりで、メリットはなにもない」というのが南予の大半である。八幡浜市でも市長も認めるように原発災害はみかんと魚の町八幡浜の根幹を破壊し、市民生活を根底から破壊する。(市長はにもかかわらず飲食・ホテル・運輸・建設資材等で原発に依存していることを強調する)

再稼働積極容認派であった前伊方町長でさえもはや原発依存では町はやっていけない、と強調していた。にもかかわらず、再稼働に反対する意見を表明する自治体はなかった。
(西予・宇和島の市長は脱原発全国首長会議の参加者であったが、40年ルールの厳守と新増設禁止の要望にとどまった。高知の県境の梼原町が敢然たる町議会決議を2度全会一致で行ったのと対照的)

そこにあったのは国・政府と県に対する忖度であった。とりわけ政府は経産省職員5名を派遣し、自治体に張り付けて「地元同意」を画策し、忖度を仕立て上げた。八幡浜市は姑息にも50余名の「市民代表」を市が選定し、お手盛りの説明会とアンケートでもって「住民意志」を捏造し、議会をも無視して同意意見を回答したのであった。そこでは「重大なリスクを抱えて再稼動を容認するからにはそれに応じた経済的メリットを求める」という補助金要請がにじみ出るものであった。

原発は、平常は四電が前面に立ちつつも、決定的局面では「国策=エネルギ基本計画」ということで国家と向き合わされる。国の威信とそれを裏付ける交付金・補助金が立ちはだかるのである。(そこには「国家と核」という問題が、それへの態度が根底には潜んでいる。)

伊方町ではそれは露骨である。佐田岬半島の各集落の歴史的存立構造、原発建設反対運動と既成事実化がもたらした重圧、仕事とカネの動き等々が引き起こす地縁血縁職縁での同調圧力と忖度構造だけではなく、補助金がハコモノ以上に農業や診療所や老人施設等生活の深みにまで住民にまとわりつき、住民の自主性を抑圧し、依存=隷従構造をつくっている。そしてこの補助金は他自治体では地方交付税交付金等が基になるところが全て原発マネーと色付けされる。「原発あっての、原発のための住民」と言うかの如く。

半島の西端地域の住民は、「再稼働することはこの町が見捨てられることであり、自分たちが見捨てられることだ」という。事実集落から基幹道路へと出る県道が土砂崩れになっても、何カ月も補修せずブルーシートを被せたままで、再稼動と避難訓練がなされる現実を見ると、いかにこの地域で人の命と暮らしが軽んじられているかがわかる。「核と国家」という問題は半島ではこのように横たわっているのだ。

八幡浜住民投票運動をめぐって

 八幡浜では市長・市議会多数派[*1]・商工会という推進勢力のなりふり構わないやり方に対して、市民の怒りが噴出し、「福島を繰り返すな」ということを「住民の自己決定権」として表現していく住民投票運動が沸き上がった。

最も危機感を抱いて起ち上がったのはミカン農家であった。ミカンの採集期という超繁忙期のハンディ中に、一カ月間不眠不休で必死に署名活動に取り組んで有権者の三分の一に達する1万筆の署名で大きな衝撃を生んだが、市議会で否決された。
(この構造は7月の参院選にまで継続した。署名運動の力は野党統一候補支援の市民運動として継続したが、八幡浜では自民党候補に打ち勝った)

この中で微妙な位置に立ったのは西宇和農協であった。西宇和農協は70年代に東京市場で規格化と品質管理でブランドを確立して以来この地域では絶大な存在感を誇っている。現場のミカン農家の人たちと県との板挟みになった西宇和農協は、署名運動には反対しないが一切非協力を決め込んだ。それが議会で勝ちきれなかった要因となった。

書き残したことはいっぱいあるがもう紙数も尽きた。ともかく自治的でゆったりした循環型の地域共生社会の創造、そういう方向性の中にしか南予の未来はつかめない。それは安倍=日本会議的なものとの根底的訣別でもある。

[*1]
八幡浜市議会は1年半にわたって真っ二つに割れてきたが、市長の同意意見回答のあと急遽再稼働促進決議をおこなった。16名議員中、議長を除いて8名の賛成であった

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