「伊方の家」通信 No.3 2014/1/7
新年が明けてはや1週間がたった。東京では「明けましてアベだとう」が新年の挨拶の合言葉になっているそうだが、暮れ~正月はのんびりした時間をすごした。
年末の27日、28日は雪がちらつき、南の宇和島では薄っすらと雪が積もり、松山道も大洲インターから西が通行止めになるなど、愛媛の南域で雪と、ちょっと驚かされた。だが、30日から新年この方は好天が続き、穏やかで暖かな日々で、さすが四国と実感することができた。
正月明けの5日は、原発さよなら四国ネットワークの新年最初の街宣とミーティングがあり、それに参加した。午前11時から松山市の最中心街・市駅前で、10人ほどでチラシまきとマイクアピールをおこなった。チラシはエネルギー基本計画に対するパブコメを訴える何人かの似顔絵入りのメッセージが載っていたりするユニークなもので、東京での街宣とは比べようもなくチラシの受け取りがいい。中には長く話し込んで行く人も。マイクアピールは「瀬戸の花嫁」や「イムジン河」の替え歌も入り混じって賑やかなものだ。
午後からのミーティングは、今年いよいよ迫ってくる再稼働阻止へどう闘っていくか、真剣さと重苦しさの中、模索するように議論は続く。3月議会や更田の最終現地調査を焦点としたいくつかの行動が決まった。
6日には、半島全域で戸別配布する伊方原発50km圏内住民有志の会のチラシも入稿し、八幡浜市での議会決議を求める請願署名の用紙も作成し、1・11ゲート前行動を皮切りに始める活動の準備も着々と整っていく。夜、何人かで話していると、ああいうことも、こういうことも、とイメージが膨らんでくる。この「伊方の家」を基地としていろいろな人が各地から集まりながら、それぞれの創意を生かした活動が広がっていくような予感を感じることができた。
暮れ~正月はできるだけ八幡浜市の中を出歩いてみた。JR八幡浜駅の近辺には駅前のホテル以外に、小さな旅館がいくつも点在している。それは原発関連で働く人の宿泊用なのだろうか。そう言えば八幡浜市の商工会は、伊方原発については1・2号機は廃炉にして3号機は稼働させて良い、というのがその態度だそうだ。
愛宕山に登って市を見下ろすと、八幡浜市は海にすぐ山が迫っており、狭い平地に市街地が密集している。明治から商人の町として発展してきそうで、昔からの軒並みも多く見られる。
他方、八幡浜港はトロール漁業の基地であり、市街地のまわりは柑橘類の一大産地として段々畑に取り囲まれている。八幡浜市は伊方原発から10km~20kmの間に全体が入っているから、ひとたび福島のような事故があれば放射能が降り注ぎ、被爆を強いられ、全てを失ってしまう。
なんとか、八幡浜市民・自治体・漁協・農協に伊方原発を再稼働させてはいけないということを訴えていきたい。正月にはどこに行っても若い人達や子供たちが多かった。何故かほっとした気分になると同時に、このことを痛感させられる。
元旦の愛媛新聞は原発事故の際に離島が置かれる状況を特集していた。八幡浜市の大島では逃げられず、救助もない中で、数日間、旧小中学校の4教室に閉じこもるということで、放射線防護の改修工事中ということだ。市は3日くらいで救助がくるという希望的観測に基づくお守り的なものという位置づけらしい。「原発さえなければ、こがいなもんつくらんでええがやけどな」というのが、説明会に参加した住民の感想だったという。
正月3日は、路線バスに乗って亀ケ池温泉に行ってみた。なかなかの賑わいで若い人の姿が多かった。路線バスは伊方町役場の前を通った後、宇和海の海岸沿いのくねくねした1車線の道を進んでいく。(途中いくつものヘアピンカーブで山に上り下りもするのだが) そしてところどころ入江が現れ、その入江伝いにこの半島にへばりつくかのように集落がある。近々これらの集落を一つ一つ訪ね歩き、チラシを個別配布し、対話して回るのだ、と目に焼き付けた。さあ、いよいよこれからだ。
最後に、Hさん、Iさんからは、雑煮やおせちのセット、多大の海の幸を持ち込んでいただいた。深い感謝をもってお礼を申し上げておきたい。 (Y・T)