「伊方の家」通信 No.2 2013/12/26

 12月22日(日)、原発さよなら四国ネットワークの街宣活動とミーティングがあるということで、昨夜大阪から到着したクマさんと松山に出かける。レンタカーを借りようと思ったが、車が全部出払っていて借りられず、45分後の列車で行くことに。八幡浜~松山は距離にして70kmほどだが、特急だと50分、普通だと2時間20分、料金は特急で片道約2400円。気軽に行き来できるものではない。

 市駅前に着いたとき、既に街宣は終わり移動中であった。それでミーティングから参加。ミーティングは13~4人だったろうか大半が女性、私たちは熊さん、八っつぁんで紹介される。12・1えひめ行動は当初原発さよなら四国ネットが提起したものが、伊方原発止める会全体の取り組みとなり、いろいろな団体・グループに広がり、総結集となったこと、また四国全体・環瀬戸内から全国に広がって8000人集会となったことに、大いなる自信となった感想が印象的だった。デモで車道を使わせない件に関して、警察が商店街等を「大混乱が起きる」と煽り、商店街の要望というように組織したことも報告された。1日夜の全国交流会と2日の行動全体については私の方で報告した。

 年明けは1月5日から街宣を開始し、18-19日の全国討論合宿に提起する方針問題のミーティングを行うことが確認された。1・11のゲート前座り込みはいよいよ新年初の行動ということで大きく呼びかけてやること、1・17には高松で四電本社前行動も呼びかけられている。3・8上関原発を建てさせない山口県民大集会に伊方原発を止める会がバスを仕立てるのでそれに参加し、それを前後して祝島との交流を追求しようということに。この日配られたチラシに、村上誠一郎・国政報告会というのがあった。愛媛2区から選出されている彼は、秘密保護法に反対して採決時に退席し、原発再稼働より原因究明と汚染水対策と直訴している硬骨の議員である。

 翌23日は伊方の家で、お披露目を兼ねた忘年会と南予住民交流会があった。参加者は10余名、ここでも大半が女性。しっかりしたチラシを作成して年明けから精力的に戸別訪問・チラシ配布・対話活動を行うことを確認。2月16日には前双葉町町長井戸川さんをお呼びして講演会を開催することになった。シール投票の件で、それが住民の意思を表現する方法としての重要性を確認した上で、会員外から「80兆円の補償金の項目入シールアンケート」の提起があって厳しいやりとりを含む真剣な討論をする。結局私たちがやるものはそういう項目は絶対入れるべきでない、従ってそういうシールアンケートには協力できない、というのが会全体の結論だった。

 伊方町では3月議会~4・8町長選が焦点となる。それに向けてゲート前行動の継続・拡大とともに、考えうること全てをやろう。そして八幡浜でも3月議会に向けて、再稼働反対決議の請願署名活動を戸別訪問でやっていくこととなった。西予市長や鬼北町議会は再稼働に反対しており、宇和島市長も最近脱原発首長会議に加わった。内子市は避難計画を50km圏に拡大することを決定した。南予地域で動きは徐々に表面に出てきている。ここからが正念場だ。

 その後の忘年会は鍋を囲んで和気あいあい。おまけに大きなアワビの刺身まであって大満足。

 24日、斉間さんからメールが入る。近藤さんの手術が無事終わったそうだ。4時間の大手術だったそうだ。ホッとする。一刻も早い回復をいのるばかりだ。

 25日、今日はこちらに来て初めて、というような快晴の日和である。前日にM子さんからの誘いがあって、宇和島のMさんのところにみかん狩の手伝いに行くことに。Mさん夫妻は南予住民交流会のメンバーでゲート前行動の常連である。お二人は教師を定年退職後に実家のみかん農園を継いでやっておられるそうだ。ぽんかんの収穫に追われていて、この一両日が最後の追い込みとか。その後は霜や雪にやられてしまうという。実際、向かう途中、外気は2度、さらに山中では0度にまで下がっていた。

 到着すると西予の若いHさんも来ていた。彼も23日出席する予定が町内の急用で来れなかったので、会えてよかった。ぽんかんは樹に本当に鈴なりのようにたわわに実っている。摘めども摘めどもみかん、といった趣である。「うわじま・子供と未来を考える会」の若いママたちも3人手伝いにやってくる。「反原発つながりで応援にきてもらってありがたい」とお連れ合いが何度も繰り返す。10・13には東京の大行動に参加し、官邸前で大声で叫び、石破のいうテロリストになってしまった、とお二人で笑い合う。新年の1・11ゲート前座り込みには、若いママたちも参加するそうだ。その日が楽しみになってくる。こののどかな光景の中にも、確実に運動の輪は広がっているのだ。

 目いっぱい労働した後、心地よい疲れで眠気を催しながらM子さん運転の車で帰ったが、八幡浜に近づく頃には完全に日暮れて、夜の帳が降りていた。    (Y・T)

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